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梵定寺おかめ尼フクオフィシャルブログ

梵定寺は、占い師おかめ尼フクが経営する京都にある安宿・ゲストハウスです。

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              少し前ですが、11月の末に 若狭へいってきました

          

          奈良の東大寺の春の再生の儀式 お水取りの 水の源の鵜の瀬です

         

        ここは、水の聖地とあって   たえまえなく流れる 透明の水の 流れが

           

        みたともないような、美しさで、ただただ 自然が私たちに与えてくれる

          

          圧倒的な神聖さに、 静かに わたしたちは享受するしかないのでした

 

            この美しさをわすれないでおきましょうね、と、私は申しました。

 

             波長をあわせるとは、記憶にそっと 自分の鏡に映せばよいのです。

 

           そうすれば、いろんなことがあって時に よゆうのないときでも、

                

                自分のHOMEに戻れ、落ち着いていられますよ。

 

               春先に 友人のNen氏に教えていただいた 明通寺に参拝。

 

              ここは、今年、三重塔の秘仏特別公開があり、御本尊の薬師如来坐像

 

               降三世明王立像  深沙大将立像 不動妙王立像が拝めます。

 

               最終日でしたが、 人も混んでいなく、山奥のいいお寺です。

 

             征夷大将軍の坂上田村麻呂公が ある夜霊夢を感じ、ゆずり木の下に

          

           不思議な老居士が住んでおり、その命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため

            

             大同元(806)年 堂塔を創建し、居士また ゆずり木をきって、薬師如来

 

             降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置したと 略縁起に書かれます。

 

              密教装置が すごいとNen氏にきいていましたが、別にしても、

                

               確かに ここは今も

 

              創始されたエネルギー自体が今も生きているお寺だと感じました。

 

             こちらのご住職は原発について警笛をならす活動の方としても 以前から存じ

            

             ておりましたので、この若狭、という土地で、その意味は大きく深いものでは

 

             ないでしょうか※  (参考 水上 勉「故郷」を拝読されると、繋がります)

 

                

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   寺や、神社というのは、物見遊山ではなく、かならず、ヒストリーがあります。

    からっぽには なにも残らず、朽ちてゆくだけー

     何千年ものの間、継承されるものとは、いのち喚起させてくれます。

 

      わたしたちの、先祖や、今の日本をつくってきた人たちは 確かに生まれて

 

      わたしたちと同じように、笑い、悩み、苦しみ、愛を育んできたに違いありません。

 

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     明通寺は、 平安のモンゴル襲来のときに 酋長のアテルイと、母礼 モレの命を

     

     坂上田村麻呂は桓武天皇や公卿に 救わんと嘆願したが受入れられず、その命を

 

      弔うためにこの創建したとも、いわれています。こちらの縁起が真実なのでしょうね。

 

       アテルイになると、奥州に線を伸ばさないという気がいたしますが、今はここまでと

 

      しておきましょう。

 

 

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            今年の初め、龍村さんの導きで、天河神社の神事に参加しましたが、雪の中

 

     弁財天からのメッセージで、おみくじをひくと、豊玉姫をしんじすべし。と書いてあり

 

     そのご縁の神社にはずっと巡りあいませんでしたが、明通寺にいくと決めて旅の計画で、

 

     若狭の近辺を 調べていましたら、近くに、若狭姫神社があり、その御祭神が豊玉姫でし

     

      た。 こうして、私は一年かけて、自然に水に導かれるがまま今年の終わりに

     

      今年の始まりに、繋がった訳です。天河村も今年は大変な災害に遭われています。

 

      微力ではありますが、支援寄付などもさせていただき、そしてこれは長期的にできる範囲    

 

      で 継続していくつもりです。(支援情報など天河神社HPなどで確認してみてください)

 

      思えば、3,11以降、自分に何が一体できるのかと、時には無力感で

 

      落ち込むこともありましたが、 周りの方の暖かい心や支えを受けながら、

 

     時に、支えていただき、そして、時に支える。支援なども、政府や公的機関などの

 

      信用できないお金の行く末。そうした現実がある以上、自分で決断し、判断に責任を

 

      もち、これをここに支援するのは自分が決断したことなのだと、行動していくことが

 

      問われてことも大きな皆さんの学びであったのではないかと思います。

      

      私自身も、自分と、たたかい、今こうしてなんやかんや 少々 不器用かもしれませんが

 

      生きております。と、いろいろ、かんじることも出来ました。

 

       ご一緒された方は どう感じられたかな?  きっとその人のヒストリーを

 

       綾まれているかと、存じます。

 

 

        そして、若狭の 若狭姫神社、若狭彦神社にも参拝して京都に帰ってきました。

 

 

        そして、大変 お世話になり、長いお付き合いをさせていただいています、

 

         クライアントさまがめでたき、お誕生日ということで、大覚寺に お誘いし、

 

        夜間拝観してきました。

 

        嵯峨です。菊の紋で、嵯峨天皇の離宮嵯峨院が建立され、代々、天皇や皇族が

 

        住職に就かれた 門跡寺院です。

 

 

        大沢池が有名ですね。 こちらで、秋の夜間特別拝観のライトアップです。

 

 

 

 

 

携帯写真 1996.jpg      池が、鏡のように、見事に 宝塔や松を映し出しています。

 

     どこまでも、夜の空を映し出す、池は 真っ黒な鏡のようで、 透明さにも

 

     こんな 水の 顔があるのかと、 静止した池の神秘にただただ 見入りました。

 

 

      流動する水もあれば、こうした静止した水だからこそ、映しだす宇宙があるのですね。

 

 

       そうして、このお寺には嵯峨天皇と親交が深かった、弘法大師、空海が

 

        なんども、立ち寄っているのですが、

 

        空海ゆかりの 閼伽井の水という 湧き水があり、今年 

          

               

                          一般公開を     初めてされました

 

         

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    今年は、封印されたものが 開封された年ともいえるのですが。

 

   魂は普遍で、ひょっとしたら、今年はどこかの場面で 空海とも逢うのではないかと

 

    感じ、自然にしておりましたが、こうして、クライアント様のおかげで、

 

     空海の水との 出会いがあるとは思ってもいず、やはり人智の及ばないところで

 

      兆をいただくことができました。

 

 

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       ありがとうございます。  

   

     この閼伽水は、(アカ)と呼び、サンスクリットで、アルガの音写で、功徳水といわれて

 

      大変な清浄な水です。両手で、そっとこのお水を受け止めてみました。

 

      大変やわらかく、あたたかい水でした。

 

      色々、ありましたが、最後に空海。弘法大師様に、こうした水を戴けて 

 

      まずは、自分なりには頑張ったと、それ位は ほんのちょっぴりは いっていいのかも?と、

       

       頭を垂れます。     全ては祈りから  はじまり 祈りの場所へ

 

 

       これからも、12月に入りますが、一歩一歩 歩んでまいりたいと思います。

 

 

      年間鑑定のお越しの方も、ありがとうございます。 新しい扉を一緒に開くこと

 

     が出来ていつも 嬉しく思っています。  がんばって 楽しくいきましょうね。

 

 

 

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