2011/06/23
今日は、沖縄慰霊の日です。
たった66年前に 地上戦が あったこと。戦って日本の為に 死んでいった方がいること、
その上に この状況があり、生きていること。
思いをはせ、またこの方達の魂に 今 自分たちが なしとげなければならないこと。
自然に、すうと、祈りがなされるのではないでしょうか。
祈りとは、真実。
真実からは、明日からの 今日からの 道に私たちが 歩ける灯りではないでしょうか。
今から、7年前、2004年に 沖縄の祈念祭りに参加いたしました。
タロットの先生である、マドモアゼル朱鷺が企画したものです。 いとうせいこう氏、サンディー
田口ランディ氏、アシリレラ、沢山の 人々が沖縄に集結し、一緒に 祈りを捧げました。
沖縄平和祈念堂では 素晴らしいセレモニーがあり、 その場所に鎮座されている、
平和祈念像をみたときのことは今も私の中にのこっています。
戦争で、子供を亡くし、その平和を祈りながら 画伯が長い長い時を、経て彫刻された仏です。
写真からでも、想いが祈りが伝わってきませんか
この企画書には、
ー地球規模の点検が行われています。
それは人と人。人と海
人と動物との様々な繋がり、自分以外の全てとの繋がり
「他民族がもっと身近に 隣の人との繋がりを信じられるかどうか」
そんな事を地球は今、私たちに問いかけています。
国家、政治の枠を越えて理解していくこと
民間で友人を作る事の大切さを
強く実感する時なのです。
と、書いてあります。
以前の私と、時間がたって今の私がみる日本は 今も、祈りが同じように必要な気がします。
そして、今、これを企画した マドモアゼル朱鷺も 目の前に肉体としてはいませんが
今も、存在しています。それが祈りをもって 証明しているかと思います。
沖縄の海で、きいた いとうせいこう氏のポエトリーレーディングは今も 入ってます。
祈ることは無力ではない。
なぜなら 己の無力さをしることができるからである。
そこから 始めようといことなのではないでしょうか。
平和祈念堂には オオゴマダラとう、蝶が飼育されています。
蝶は 魂 プシュケー
そして、日本の南の島 喜界島でも オオゴマダラは 上陸し、蝶の島と云われていました。
この祈りを経て、この島で、私が皆既日食を観測したのも 全て 偶然ではないのはないでしょうか
テントをたてたところは 特攻隊の飛行場だったところでした。
その敷地ないにある、戦没者供養塔に お花を摘み、合掌しにいったことを覚えております。
きょう、沖縄の空に、平和を祈って、平和祈念堂から オオゴマダラの 沢山の蝶が
放たれるのだそうです。
魂が 大きく 放たれていくのでしょう。
美しいでしょうね
真に平和を実現し、そのために 目の前の現実を 受け入れ、
遠くの 聖者に思いをはせるのではなく、
隣の人に 聖なるものを見出すこと。
そんな風に 私は今 感じています。