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梵定寺おかめ尼フクオフィシャルブログ

梵定寺は、占い師おかめ尼フクが経営する京都にある安宿・ゲストハウスです。

2011/06/01

山に入る

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近江の 山に入る。

この山は、ご神体山

先代旧事本紀による伝説では、巨人が近江に穴を ほっちゃって

その窪みが琵琶湖になり、掘った土でつくったのが富士山。

こぼれた土でつくったのがこの山といわれているのじゃ。by市原悦子

こうなったら関係性など緯度でひっぱり確認したいところだが やめておく

 

7年ぶりだが、頂上に磐坐があり、とういうか途中から、ほぼ、断崖でなりたっている山だ。

神社の奥宮鎮座しており、頂上のスペースは ほんの、数メートルしかない。10メートルもないだろ

う。7年ぶりのお礼参りである。 成就し、その後その時に強くおもいをさせていたとは違う決断をした

のだが、結果がでた。報告を 7年たった今になった。それと、こういう仕事してると、定期的に

チャージする必要があるのだ。一人で計画をたて、一人で道を歩む。知人にも連絡いれず。

啓示が 数ヶ月前からあったものの、本格的にGOサインがでたのが 数日前。私は、自分で、自分

のトリートメント壺を作成し、度々利用していますが、壺の中に御神籤を いれている。

先日 壺に手をいれると、その神社の縁のものが出てきたのだ。昔 その土地の観光協会にいて

観光案内所の職員であった。その時の 関係者から頂戴したもの。

裏道登山ルートと、表登山ルートがあって、表が結構ハードな記憶だったので、今回は 裏ルート

コースを選択。裏は 初めてだが、楽に登れますと、書いてあるし、よく、

当時、そういう風に 旅人に説明していた。

台風あとだったので、山が水で、道をつくり 竜道ができていた。ほとんど水の道を歩く。

もともと、水が満ちている山だが、素晴らしい登山。こんなのは初めて

だれも、いないし、完全に山の中に一人。おそらく、どこかにいるのだろうけど、遭遇せず

鳥の声、風の中に あって一人で、歩くだろう。

 

途中から、 昔に 表ルートで歩いたかのような、険しい場所になってくる。

岩のチェーンがつけてあって、それを使わなくては歩けないような道とか。

修験道の道よう。

イノシシも出るのよ~ん

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道なんかありません。両手、両足で、はいながら頂上にいきます。

(女の子は 一人で、こんなハードことしちゃ駄目よ・) こけても、誰も助けてくれません。

裏も、表も、同じくらいハード。

こんな感じの道が ずっと、後、300メートルくらい続く。道なき道。

ちょっと、どんくさい人は無理だろーな。リュックの重さが結構あるので、後方に落ちないように。

背中には 神様への 御礼の日本酒を、担いでいる。

 

頂上に立つ・

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頂上・田が美しく、 琵琶湖と、比良山系がどっしり、連なっています。

 

天気もよく、美しい

 

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頂上は全部が聖域なので、岩だらけです。 持参したスツールを組み立てる。

 

 

まず蝶が 飛んできて出迎えてくれる。私は非常に 蝶に縁があります。

 

御礼を申し上げ、奉納。

 

本当に来てよかった。  すぐ、外人夫婦が 違うルートからいらしゃる。

 

少し話し、私は自作の お弁当を食べる。

 

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直会・

 

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しかし、美しい眺め。

私の撮影技術では これを映しきれない。

 

 

お弁当を食べ、 7年前にここにきた自分を 自然に回想 過去・・現在・・・

 

おにぎり食べながら

 

自分の手元のお弁当に 目を見やると、 私は、今朝から自分の好きなものだけを調理し、

 

折りつめた。

 

このメインのスズキのムニエルは、先日 クライアント様から京都・舞鶴の漁師さんからいただいた

 

ものとして、野蕗と、一緒に、戴いたもの。デザートの苺だって、朝に庭から収穫したもの。これも昔、

 

朱鷺さんが買ってくれた苺の小さな、小さな苗が こんなに実になった。育てることができた。

 

この弁当のケースだって 近所のおばさんが、むかしオカズをくれたときにもらったものだ。

 

洗ってとっておいたものだ。

 

それを、私は 今、自分の足で歩き、山を登り、ここでしっかりと、景色を楽しみながら

 

むしゃむしゃ お弁当をほおばっている。元気に。

 

 

 

なんか、豊かだなと感じる。

 

 

ありがたいな、と思う。

 

 

この気持ちに至れてよかった。

 

 

 

近江の田園風景をしばらく ゆっくりと眺めながら、

 

 

想うのは、やはり、福島、被災地のことだ。目にうつる景色が美しいければ美しいほど、彼らにも

 

このような美しい故郷があった。それが一瞬で、あのような破壊になってしまうなんて。

 

なんてつらかったのだろうと思う。今も そのつらさは 現に、継続している。

 

 

奥宮にポールが立っており、日の丸が 破れてはいるものの、たなびいている。

 

 

彼らのことを、ずっとこれからも、支援し、痛みを共有したいと思う。

 

色々、模索し、でもあきらめないで 生活の日々をこれからも、歩いてく。

 

きっと 何かを真剣にやるということは己も問われるということだろう。

 

奇麗事の 裏にある泥 その泥の中に 何かがあり。

 

その中にあって泥に気がつかなければ、己の宝を見失う

 

 

誰にも、自分しかできない それが自分にたいして生き抜くという覚悟であり、

 

同時に自由を もたらしてくれる唯一の法。

 

全てが むきだしになってる今だからこそ、みられている。

 

 

私たちは

 

 

 

抱かれているのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神様、ありがとうございました。

 

 

 

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