2011/03/08
「ああいう人達は、ご飯とかちゃんと食べているの」
「貧しいといえば、あのような家も持たない人は幾らもおります。
ご承知でしょうが、東北の方では飢えのために、かなりひどい話もでております」
「わたしは、朝昼晩、食べるものがあるのを当たり前だと思っている。
気に入らないと残したりもする。この世には、そうでない人達が幾らもいるわけよね」
「残念ながら、さようでございます」
「井関さんが、瓜生家の使用人でなかったら、当然、全ての扱いが違っていた。そういうことを考え
ると、我々のような人間とそうでない人達のいることは、とても不当なことに思える。でも、実際に、
今のような家を見て、《あそこに住めと》いわれたら、震えてしまう。とても出来ない」
「お嬢様ー」
とベッキーさんは、静かにいった。
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「《あのような家に住む者に幸福はない》と思うことも、失礼ながら、ひとつの傲慢だと思います」
わたしは、やさしく叩かれたような気持ちになった。ベッキーさんは続けた。
「もし、よろしければ、桐原様を通して、井関さんのお墓のあるところを、お聞きいただけますでしょう
か。いつの日か、二人でお墓参りをいたしましょう」
わたしは、ベッキーさんの後ろ頭に向かって、大きく頷いた。
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北村 薫 「街の灯」文藝春秋発行 より